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開塾以来、当教室は1ヶ月(3~4回)無料で授業を受講していただいてから入会するというシステムをとってきました。これは、当教室の授業を体験し、お子さんも保護者の方も、教室の雰囲気や講師、学習内容などを知ったうえで学んでほしいと思ったからです。もちろん「1ヶ月無料」という謳い文句で、少しでも多くの生徒に来てもらいたいという意図もあることは否定しませんが、いざ入会したものの子どもには指導内容が合っていないようだが、授業料を払ってしまったから辞めるのはもったいないというようなミスマッチを避けたいというのが一番の理由です。ですから、体験授業といっても、「体験のための体験」ではなく、実際のクラスの中に入ってもらって当教室の生徒たちと一緒に、全く同じ内容の授業を受けてもらいます。
実際のところ教室に来てくださるのは、無料体験を受講する前に充分な検討をされてから扉をたたいてくださったご家庭が多く、無料体験学習を受講したお子さんの9割弱は、入会をして学習を続けてくれますが、ごくわずかですが、無料体験受講後に、続けるとも体験だけにするとも、まったく何の連絡もないご家庭や、来月からお願いしますとご連絡をいただいて、座席も組み替え、教材も用意したのに当日になって、やっぱりやめときますというご家庭があります。
無料体験授業というのは、いわば「広告宣伝」ですから、そこにかけた費用や労力が無駄になってしまうことは承知のうえです。費用といったって、プリント代+アルファですから、微々たるものと言えば、微々たるものです。ただ、この「無料」ということばが、プラスではなくマイナスに作用しているのではないかと昨今考えるようになりました。
まず私の方には、授業料をいただいている生徒と区別するつもりはないものの、どこか「まだ授業料はもらっていないのだから・・・」という気持ちや、「入会してもらわないことには費用と労力が無駄になる」という気持ちが、若干なりとも授業内容に影響を与えているかも知れません。また、無料体験のあと、きちんと断りのご連絡をいただけば、(落胆はするものの)そうか仕方ないと気持ちの切り替えも出来ますが、何の連絡もなければ正直よい気分ではありません。それに授業の前日までに連絡をくだされば、こちらも教材を用意しなくても済むのに(また、新しく入る生徒のことを考慮して、授業プランを変えたりしなくても済むのに)、当日の授業の直前になって連絡が入ったり連絡がなかったりすると、プリントも無駄になるし、授業プランそのものをまた変更しなければならないといったことも起こります。
一方、ご家庭の方は、授業を受けるお子さんも保護者の方も、たとえ金額が「¥0」であっても、ご家庭も塾も、「時間」という貴重なものを費やしているということをわすれてしまいがちだということがあると思います。また、「無料」ということばで、逆に体験学習を敬遠したご家庭もあったかも知れません。体験学習だけで済ませようと思っても、その後しつこく勧誘されるのではないかなど思って、受講に二の足を踏んだ保護者の方もいらっしゃったかも知れないと思います。ご家庭からすると、体験の授業料を払うことで、体験だけで断る時に気を遣わずに済むという点もあるかも知れません。(もしかしたら、体験後連絡なかったご家庭の中には、断りの電話がかけづらかった方もいらっしゃったかも知れません)
「ただほど高いものはない」ということばもあります。有料にはいたしますが、お金を払う価値のある体験授業をさせていただきますので、なにとぞご理解をたまわりますよう・・・・・・。
2021-04-27 20:33:41
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昨年の夏頃、この貼り紙を教室の窓に貼ったら、懇意にしている近所の英語教室の熊代先生がフェイスブックに掲載してくださいました。もっとも、この貼り紙はもう一つの窓の貼り紙とセットで、「テストの点は変わりません。考え方が変わります。」というものなのですが、熊代先生はこちらの貼り紙だけを取り上げて、「成績ばっかり気にするから、通り一遍のことしか教えられないのではないの?・・・・・・一本筋を通して、開設以来ずっと同じ姿勢で教え続けておられるいはら先生。お見事です。」と書いてくださいました。これを見て、恥ずかしくなりました。
一本筋を通すどころか、こちらは開設以来ブレまくりです。授業料はもう4回も変わっています。授業時間も時間割も変わっているし、授業内容も毎年少しずつ変わります。変わるのは想定外のことが次々現れてくるからですが、そもそもの私の想定が甘いということでしょう。
「テストの点は変わりません」というのは、「成績や合格に関心はありませんよ」ということでは、もちろんありません。国語の学習がテストの結果として反映されるには時間がかかる場合が多いので、すぐにテストの点数が上がると思ってもらっては困りますよということを、ざっくり「点数は変わらない」と表現したものです。こう表現した方が、インパクトが強いだろうと考えたのですが、塾の宣伝としてはどうも+にはならなかったかも知れません。塾の前を通る方が貼り紙を見て、笑う様子を見たのですが、「指導の理念」というよりは「開き直り」ととられている可能性が高そうです。こちらからすると、「点数が変わらないわけなかろう。言外の意味を考えて!」というのが本音なのですが、世の中には、広告の宣伝文句を字面どおりに受け取る人も多いのかも知れません。
しかし、例えば「○○中学、○○名合格!」はいったい、全部で何名の生徒が受験したのか明らかにしていませんし、「合格率○○%」も、第一志望は合格する可能性が低いから第二志望の学校に受験先を変更するといったことをするのとしないのでは(もちろんそれは進路指導としては間違っていないと思いますが)変わってきます。「点数○○点アップ」も、アップ後その点数を維持し続けているのかどうか、一度もダウンしなかったのか、明らかではありませんし、すべての生徒がアップしたのかどうかも明らかではありません。
国語の点数に関して言えば、学校の定期試験の国語は概して問題数が多く、一問あたりの配点が低くなっています。そうしないと、出来た人と出来なかった人の得点差が大きくなるので仕方のないことではありますが、そうなると漢字一字書けただけで2点、80字の記述問題を完璧に答えても5点といった結果になり、漢字3問とれた人は、記述問題1問とれた人よりも得点が高くなります。実際には記述問題が完璧にとれるような人は、漢字もよく出来る人がほとんどですから、上記のような極端な例は少ないとは思いますが、記述問題はすべて空欄のままだったとしても漢字や選択問題、抜き出し問題などを完璧に答えれば、70点から80点くらいの点数をとることは可能です。実際、当教室の中高生に定期試験の答案用紙を持ってきてもらうと、記述問題はほぼ手つかずといった生徒がいます。試験というのは時間制限がありますから、時間のかかる記述問題は後回しにして漢字や記号問題を先に解くという方法は間違いではないと思います。ただ、いつもこういう形で、国語の点数が70点ぐらいあるから、まずまずというとらえ方は危険です。
点数というものは、問題内容と配点によって、かなり変わってくるものなのです。だから、テストの点数だけでは、国語力は判断できないというのが私の考えです。また、問題の難易度や分量によっても点数は変わりますから、A校で80点の生徒よりもB校で50点の生徒のほうが実際には国語力があるということは充分考えられます。大学入試を念頭に置くなら、少なくとも全国模試を受けて、その点数で国語力を判断するべきであって、学校の定期テストの点数がよいからといって国語が出来ると考えるべきではないと思います。さらに言えば、目指す大学によっても必要とされる国語力は変わってきます。国公立の医学部や東大・京大・阪大、あるいは慶応・早稲田といった難関私立は、国語力なくして攻略できません。試験に個別試験に国語がない理系志望だとしても・・・です。
意外と意識していない人が多いのですが、どの教科も多くの場合、設問は日本語(=国語)で書かれています。そして、問題が解けない理由の一つとして、設問が正しく読めていないということはよくあることなのです。国語で伸ばすべきは、点数だけでなく、設問を正しく読み取り、筋道立てて考える力です。そこに気づかずに、点数だけを見ていたら、肝心なところで足をすくわれます。
もっとも、こういうことを貼り紙で伝えられない私にも国語力のうちの「何か」が欠けているということでしょうから、あまり偉そうなことは言えませんが・・・・・・(笑)。
2021-04-01 11:35:17
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4月から経済的に塾に通うゆとりのないご家庭のお子さんにも学んでいただけるよう、授業料の減額制度を始めることにいたしました。実は、この制度はこの教室を始めた頃から経営にゆとりが出来たら、ぜひ実施したいと願ってきたことなのですが、開塾15年、恥ずかしながらそのゆとりは一向に生まれず、ずっと実施を見送り続けてきました。
そもそもこの教室は、組織というものが苦手で、会社勤めに向かない私がなんとか食べていくために始めたものですが、私の中には、保護者の方々が高い授業料を払ってでも子どもを通わせたいと思えるような塾にしたいという思いと、できるだけ安い授業料で多くのご家庭のお子さんが通える塾にしたいという思いの両方がありました。しかし、現実には授業料が高ければ生徒が集まりませんし、安ければ経営が成り立ちませんので、今もどれくらいの授業料にしたらいいのか悩み続けています。前回のブログ(「令和3年度の授業料改定について」)に、私は独身なので、自分一人がぎりぎり食べていければいいと書きましたが、もちろん私だって収入は多い方が有り難いです。会社員生活が短かったので、年金の額も多くはないし、正直老後は心配です。
でも、その一方で、日本の子どもの6人に1人が貧困であるとか、親の収入格差が学歴格差に直結し、学歴格差が収入格差に直結しているという現状を思うとき、このままでいいはずはないと思い続けてきました。私のように私立の中高一貫校から東京の私立大学に進学するという恵まれた教育環境を与えられた人間が言うと、申し分のない境遇に恵まれながら収入の少ない人間のひがみにしか聞こえないかも知れませんが、東大生の半数以上は親の年収が950万円以上だとか、高学歴の人ほど高年収になる割合が高いとかいうデータを目にすると、「ほんま、おもろない社会やなあ」と思います。
そうは言うものの、教育というのが格差を逆転するための大きな要素のひとつだと私は信じています。教育によって知識や思考力を身につければ、少なくとも人生の選択肢は増えることは間違いありません。だから、学校の授業に加えて学びたいという意志があるのに、もし経済的な理由で塾に通えないお子さんがいるのなら、国語だけではありますが当教室に来ていただきたいと思います。これはいわゆる「特待生制度」(成績優秀な生徒の授業料を免除する制度)ではありません。むしろ、学ぶ機会に恵まれず成績の伸びていない生徒こそこの制度を利用してください。
こういう制度を始めるにあたってはずいぶん悩みました。これまで通塾していただいたご家庭も、いま通塾いただいているご家庭も経済 的に余裕のあるご家庭ばかりではないと思います。ご自分のことを後回しに、子どもの塾代を捻出してくださっているお父様やお母様もいらっしゃると思います。授業料の減額制度は、そういったご家庭からすると不公平に感じられるかも知れません。しかし、マイナス面ばかりを考えていては、いつまで経ってもこの制度は始められません。格差をなくすことは社会にとってプラスであり、長い目、広い目で見ればどのご家庭にとってもプラスになることだと思います。だから、どうかご理解をいただきたいと存じます。
また、経済的な問題はとてもデリケートな問題ですから、授業料の減額などしてほしくない(他人の施しは受けない)、減額制度を受けていることを知られたくない(もし知られたら恥ずかしい)などと考える保護者の方もいらっしゃるかも知れないとも考えました。もし、そのようにお考えの保護者の方がおられるなら、いまお子さんに必要なことは何なのかを考えていただいて、そのうえでご決断願いたいと思います。
減額制度が適用されるご家庭の要件については、ホームページの「授業料の減額制度について」をお読みください。(経済的に困窮している家庭には、パソコンがないだろうから、ホームページで告知しても情報が伝わらないという心配もあります(森絵都さんの「みかづき」という小説で、主人公の孫が塾の授業料を払えない家庭のサポートをしようとした時に、この問題にぶつかりました)。が、今はパソコンはなくてもスマートフォンを所有している人は相当数いらっしゃると思うので、多少状況は変わっているのではないかと考えます。
2021-03-17 10:44:23
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昨年、6月に父が亡くなりました。以前のブログで触れたことがありますが、15年ほど前から認知症を発症した母に献身的に寄り添い、晩年は父自身も認知症を発症して、不確かなことも多くなっていた父ではありますが、それでも父がいてくれるだけで私が自由に動ける時間がずいぶんあったのですが、父が亡くなると母を一人に出来ないため、時間の制約がうんと増えました。
一昨年、昨年と時間割を改変したり、授業のコマ数を減らしたりしてきましたが、次年度(令和3年度)は、授業料の逓減制度と一括納入割引を廃止させていただきます。
授業料の逓減制度については、当教室の理念である「成績や試験の点数をよくするためだけではない、長い人生で活かされる本物の国語力の養成」という考えに賛同して、長く教室に通ってくださるご家庭の金銭的負担を多少なりとも減らしたいとの考えから始めたものです。しかし、初年度から3年目まで1年経過するごとに授業料が1,000円下がるというしくみなので、年度途中で入塾した生徒は、次の年度の年度途中に授業料が変わることになり、事務処理が煩雑です。今は、少しでも授業外に費やす時間を減らしたいので、令和3年の4月入塾のご家庭から廃止して、小学生¥5,000/月・中学生¥6,000/月・高校1・2年生¥7,000/月・高校3年生¥8,000/月の固定金額にさせていただくことにいたします。(令和3年4月以前入塾のご家庭は、卒塾するまで現行の逓減制度のままです。3年以上在籍の生徒の授業料は、小学生¥4,000/月・中学生¥5,000/月・高校生¥6,000/月です。)
一括納入割引に関しては、一括納入といっても、年度途中で辞めたら返金しませんということではありませんので、割引分が収入減になります。昨年はコロナ禍で2か月間授業を休講し、その分の授業料が入ってきませんでした。持続化給付金をいただいたので、昨年に関してはその埋め合わせは出来ましたが、今後もコロナ禍のようなことが起こるかも知れませんし、その都度給付金が出る保証もないので、多少なりともリスクを減らしておきたいと考えました。
私は独身ですので、自分一人がぎりぎり食べていければいいので、出来るだけ安い授業料にして、一人でも多くの子どもに国語を学んでほしいのですが、生活が成り立たなくなれば、塾を続けていくことも出来ません。正直な話、塾を始めてしばらくは、自分一人ぎりぎり食べていくことも難しく、父に援助してもらいながら塾を続けてきたのですが、その父もいなくなりました。心苦しい限りですが、こういう形で実質的な値上げをさせていただきます。
以上、まずは令和3年度の授業料の変更について、お知らせいたします。
2021-02-15 08:07:27
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今年度の受験のご報告その2です。
まずは中2から高2まで4年間当教室に在籍していたYさんが、京都大学工学部に合格したと連絡をくれました。Yさんは、そもそも国語が苦手というわけではありませんでした。けれど、将来の受験には国語の力をさらに伸ばしておく必要があると考えて、お父様が当教室に通うことを決められたようです。実際、語彙力もしっかりしていましたし、何より中学の頃から何ごとにも問題意識をもっていて、いわゆる「試験のための国語力」だけでない国語力をもっている生徒だと感じていました。
こういう生徒が国語を学びにきてくれるのは、本当にうれしいものです。私の願いは、「国語の成績のよい生徒にも当教室で学んでほしい」というものですから。(「成績がよいなら、わざわざ塾に通わせる必要がないじゃないか」と思われる方もおられるでしょうが、試験に対応できる力だけが国語力ではありませんし、小論文の書き方などは中学・高校の授業でもそれほど練習する機会がありませんので、学校のテストの点数だけで国語力は測れるものではないと考えます。仮に受験目的だけに限っても、定期試験の点数がよくても全国模試のようなテストで点数が低いのなら、けっして楽観はできないと思います。)
さて、話題を戻しますが、Yさんは高3になる時に、「もう国語でそんなにひどい点数を取ることもなくなったので、高3になったら理系科目に時間をかけたい」と言ってきました。私もかなり力はついてきたと感じていたので、それがよいだろうと言いました。そして、臨んだ昨年の受験、残念ながら前期は京都大学の工学部に不合格となり、後期も千葉大学の工学部に不合格になったと連絡がありました。不合格の要因の一つが国語だったのかどうかは、もう塾を卒業していたので詳しいことは聞いていません。(私は一定期間塾に在籍していた生徒のことは『卒塾』と呼びます。)センター試験の点数は8割弱とのことでしたが、京都大学は理系でも個別学力試験で国語が課されますので、あるいは個別の国語の出来が悪かったのかも知れません。ただ、これまで当教室に在籍していた生徒で、国語が合格ラインより大きく上回ったという例もほとんどない一方、足を引っ張ったという例もほとんどないので、Yさんの国語力なら京大の国語でも合格ラインを大きく下回るような点数を取ることはないと思いますが・・・。
ともあれ、再挑戦した今年、見事志望の京都大学工学部に合格したとの連絡を受けた時は、(もう当教室の生徒ではないとは言うものの)本当にほっとしました。そして、卒塾から2年も経つのに、連絡をくれたことに感謝しました。Yさん、うれしい報告をありがとう。
次は、ほろ苦い報告です。一人は高1から高3まで在籍し、昨年志望校に合格できず、今年もう1年通ってくれた生徒ですが、残念ながら今年も志望校には合格できませんでした。試験というのはなかなか難しいもので、予備校に通って受験だけに備えて勉強したとしても、試験の難易度が前年より上がることがあったり、当日もっている力が発揮できなかったりして、前年より点数が下がることもあります。幸い、この生徒はセンター試験の国語は149点で、昨年より点数が上がったのですが、他の教科では昨年より点数の下がったものもあり、志望校のボーダーラインには到りませんでした。個別学力試験の点数はまだ分かりませんが、教室で解いた過去問題の出来具合からいくと、合格ラインには届いていないのではないかと推測します。記述問題に対応できる充分な力を培うことができず申し訳なく思います。
もう一人、ほろ苦い報告。昨春、志望校に不合格となった要因の一つが国語だったとのことで、予備校と掛け持ちで通ってくれた生徒です。
ここで気づかれた方もいらっしゃると思いますが、当教室には既卒者のコースはありません。ですから、既卒者は高3クラスに入って学習していただくことになります。こういったことに抵抗をもつ生徒さんもいるとは思いますが、私はよくスポーツに喩えて言うのですが、例えば野球部の3年生が、「1年生と一緒に練習ができるか!」などと言うでしょうか? それは内心そう思う人もいるかも知れませんが、スポーツの世界では1年生がレギュラーで3年生が補欠などということはよくあることです。勉強でもみんなが横並びというわけにはいきません。特に国語は、高1の生徒が高3の生徒より高い国語力を(それどころか中学生が)もつことは充分にあり得ます。古典はおくとしても現代文に関しては、漢字さえ知っていれば文章は読めるわけですから。実際、以前このブログで紹介したR君は高2の時に、センター試験の国語を解いて162点を取りました。(ちなみに高3の時は140点台・・・難易度が変わりますから、こういうこともしばしばあります。)センター試験の点数が伸びない要因は、漢字や語彙、古典文法や漢文の句法など基礎が身についていないことが大部分だと私は考えています。だから、高3生でも予備校生でもまず当教室でするのは、基礎知識の確認です。それをしたうえで、過去問題を解いて、自分のもっている知識を活かして、どう問題を解いていくかを学んでもらいます。国語は知識ではなく考える力が問われる科目ですが、筋道立てた考えをするためにも基礎知識は必要です。
さて、またまた寄り道をしましたが、この生徒も一緒に学習してみると基礎の部分で曖昧なままになっていることがいくつもありました。昨年のセンター試験は140点台だったそうですから、国語力の低い生徒ではありませんが、理詰めで考えられるところを感覚にたよって解いている部分が少なからずありました。当教室で9ヶ月間学んでもらって、センター試験の国語は155点。理系の生徒なので点数としてはまずまずでしたが、志望校のボーダーには届かず、残念ながら、前期の個別学力試験で逆転はできませんでした。3月20日後期試験の発表があり、後期試験で受験した大学も不合格、幸い中期試験で受験した大学に合格したので、その大学に進学することになりました。先ほど理系志望なので、155点はまずまずだと申しましたが、わざわざ国語の専門塾に通ってくれたのだから、本当は国語で貯金をつくらせてあげるべきなのです。力及ばず申し訳ないと思います。
最後にご報告する大阪大学の工学部に合格したRさんも、予備校と掛け持ちで昨春から、当教室で学んでくれた生徒です。第一志望は京都大学の工学部で、お母様と一緒に当教室に来た時は、塾に通って国語を勉強する必要はないと考えていたようです。昨年のセンター試験の国語も160点ほど(正確には覚えていませんが)取れているし、京都大学工学部の合格者の個別試験の国語の平均点はそんなに高くないので、自分で勉強しても届くと思う、というより国語という科目は塾で勉強したから伸びるとも思えない・・・というのが彼の考えでした。けれども、お母様は、予備校生になって全く国語を学ばなくなれば(通っていた予備校では国語は受講していない)、昨年の国語力を維持できないのではないか・・・そう考えて当教室に連れてきてくれたのです。それで、通常の高3クラスの前に京大の個別試験対策を30分間することにして、9ヶ月間当教室で学んでもらいました。
結果、センター試験の点数は172点。ただ、社会の点数が思うように伸びず、目指していた点数に届かなかったので、京都大学への出願をあきらめて大阪大学にしたそうです。大阪大学工学部の個別試験は国語がないので、結果的に個別試験対策の成果を試すことはできなかったのですが、お母様と合格の報告に来てくれたRさんが、「国語の勉強をしたことは無駄ではなかった。国語の勉強をしたお陰で論理的に考える力や文脈力が身につき、それが英語にも活きた」と言ってくれたのは、本当に有り難かったです。もちろん、みんながみんなそう思えるわけではないと思いますが、一人でも「国語を勉強して良かった」と思える生徒が増えてくれたら、こんなうれしいことはありません。
以上が、今年度の受験の詳細報告です。(あわてて書いたので、後日、文章を修正することもあります。私のブログではよくあることなので、ご寛容を・・・笑)
2020-03-24 10:26:17
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私の春は、ほとんど毎年ほろ苦い春になります。小さな塾で、受験生は毎年10名足らずですが、それでも進路が決まらなかった生徒や、志望校に合格しなかった生徒がいるからです。
もっとも以前も書いたことがあるかも知れませんが、私は志望校に行けずに再挑戦することも、志望校以外の学校に進学することも、すべての受験先が不合格になることも、その結果には何らかの意味があると考えています。以前ブログで紹介したSさんは、志望校の大阪市立大学に不合格となり、一浪して再挑戦するもまた不合格となり、同志社大学に入学しましたが、大学在学中から専門学校に通って公務員試験の勉強をして大阪国税局に採用されました。私は、もし彼がすんなり第一志望の大学に入っていたら、遊びほうける(それは学生時代の私です)ことはなかったにしても、国税局には入ることはなかったのではないかと思います。(ただし、ここでも国税局に就職したことが彼にとって良かったかどうかはまだ結論は出せませんが、少なくともそうそう簡単に就職できるところではないことは確かです。)そう考えると、第一志望に合格できなかったことは残念ではありますが、その結果はけっしてマイナスとも言い切れないように思います。
さて、今年度の入試ですが、まず現役の高校生三人の詳細からお知らせいたします。三人のうち二人は来年再挑戦することになりました。もう一人のKさんは11月に当教室に来て、センター試験の国語と個別学力試験の小論文の指導を受けて兵庫教育大学に合格しました。喜ばしいことなのですが、本音を申し上げると、実はこういう短期間の指導で合格した生徒のことはあまり書きたくないのです。4年前に高3の5月から当教室に入って和歌山大学の経済学部に合格したMさんという生徒がいたのですが、その生徒のこともこれまでブログに書くのをためらって、結局今日まで書かずにいました。それは、国語の試験というものはちょっとコツをつかめば、それで解けるようになるというようなものではなく、こつこつと力を培っていく必要があるので、できる限り早く教室に通ってもらい、できる限り長く学んでもらいたいからです。もっとも長く学べば合格を確約できるわけではないのが辛いところで、今年再挑戦することになった二人は2年あまり教室に通ってくれていましたし、中1から高3まで6年間通って、センター試験で5割程度の点数だった生徒もいます。しかし、指導する立場から言えば、指導する期間が短ければ短いほど教えられることは限られます。MさんやKさんは、国語に関してはセンター試験本番でもっとも高い点数を出して合格しましたが、教室で解いてもらった過去問題の点数はけっして芳しいものではありませんでした。このように本番でもっとも高い点数が出せる生徒はそう多くはありません。むしろ普段の力が出せない生徒の方が多いと考えるべきでしょう。だから、こういう短期間での指導の合格例を書いて、「短期間でも合格出来る」という誤解を与えると困るので、MさんやKさんの頑張りは称えたいのですが、あまり大々的に伝えたくはないのです。
すでに申し上げたとおり、私は不合格には不合格なりの意味があると考えていますから、受験に関しては「成功」「失敗」ということばを使いたくないのですが、あえて「成功」「失敗」ということばを使うとすれば、保護者の方や受験生の皆さんの参考になるのは成功例よりも失敗例だと思います。誰かのラッキーな合格パターンをわが身に当てはめて、「自分も何とかなるだろう」などと楽観的なことを考えるよりも、不合格になった人の体験を教訓とすべきでしょう。ただ、どこの塾でも予備校でも「不合格体験記」などというものは公開できませんから、それは口伝えでしか知ることのできないことではありますが・・・。
ともあれ、Kさん、合格おめでとう。そして再挑戦の二人にはよき回り道となりますように・・・。
2020-03-23 11:14:36
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平成31年度よりクラス・時間割を大幅に変更することにいたしました。月曜日と日曜日のクラスと小学1年生のクラスを閉講し、授業の入れ替え時間も20分から10分に短縮して、最終の4限目の終了時間を21時30分から21時に変更いたします。
改変の理由は、私の個人的な事情です。私の母は10年以上前から認知症の症状を示しはじめ、長らく父が家事全般をしてくれていました。(私は両親と同居の独身者です。)ところが、2,3年前から父も認知症の初期症状を示しはじめ、いろいろと手抜かりが多くなってきました。日付が分からなくなる。買う食材が重複する。病院の予約をわすれる。何よりもともと料理好きだった父が、調理が面倒だと言うようになりました。そこで、3年ほど前から父に代わって私が食事を作るようにしてきたのですが、だんだんと食事以外のことも私がするほうがよいだろうということが増えてきました。
例えば、母の通院の付き添いです。私の母は認知症のほかに脊椎間狭窄症・狭心症・糖尿病など病気のデパートのような人なので、月に二度ほど通院の必要があります。これまでは父が付き添って通院していましたが、父の認知症状が進んでくると母の状態を正確に医師に伝えられません。また、母の(父もそうですが)薬の服用の手助けもそうです。父も母も毎日薬を飲まなければならないのですが、カレンダー式の薬入れに入れておいても、そもそも薬を飲むことそのものをわすれるので、その都度私が薬と水を用意して飲むように促さないといけません。着替えの手伝いもそうです。認知症になるとさまざまなことの判断力も衰えてくるようで、着るものなどもどこに何があるのかということから始まって、何を着るのかということも分からなくなるらしく、放っておくとパジャマの上にズボンをはいていたり、シャツの上に着るベストをシャツの下に着ていたりします。今まではほとんど父が母の手助けをしていましたが、父自身が自分の身の回りのことで精一杯になってきたので、母まで手が回らなくなってきたのです。
一番の心配は夜で、昼間は何かあれば車で25分程のところに住んでいる姉にきてもらったり、近所で親しくしている方にお願いして様子を見に来てもらったりすることもできますが、夜となるとそうそう来てくださいとも言えません。夕食も昼間の間に用意をしておいて、レンジやコンロで温める等、簡単な調理ですぐ食べられるようにしているので、私が帰る前に食べておいてほしいと伝えているのですが、今までの習慣で私が帰るまで食べないで待っていてくれることが多く、私の帰りが遅れるとそれだけ父や母の食事時間も遅くなることが多いです。また、父や母だけで食事を済ませると、薬を飲まないで眠ってしまうことも多いので(メモを残しておいても、メモを読んでちょっと間を置いたりするとわすれてしまうことも多いようです)、やはり私が一緒に食事をして、薬を飲み、きちんと寝間着に着替えて布団に入るところまで見届けたほうが確実です。
こういったことから、1.授業の終了時間を早める、2.休講日を増やして家事全般や両親の通院等にあてられる日を確保する(いまのお医者さんはどこも混んでいて、2時間3時間待たなければならないこともあるので、終日通院にあてられる日を作りたい)ことを目的にクラスと時間割を変更させていただくことにいたしました。
仕事を第一に考えるならば、あるいは両親共に介護施設等に入ってもらうのが筋かも知れません。しかし、私は思うのです。何のための仕事かと考えれば、それは生活のためです。ならば、可能な限り自分のしたい生活に合わせて仕事をしたいと。そして私のしたい生活とは、家族で支え合いながら暮らすことです。私の両親の場合、認知症とは言うものの初期症状の父はもちろん、発症して10年以上たつ母も、お風呂も一人で入れますし、トイレなども時に介助のいることもありますが一人でできます。私はそんなに器の大きな人間ではないので、時にはとがった声を出すこともありますが、毎日笑顔で暮らせているので、できる限りこの生活を維持したいと思うのです。いつ何時どんなことが起きるか分からない老齢の両親と暮らしながら個人塾を運営していくことで、いろいろ不意の事態のために生徒や保護者の皆様にご迷惑をおかけすることも出てきます。昨年の9月は、母が緊急入院することになり高校クラスの授業を休講させていただきました。こういう時、たくさんの講師のいる塾なら融通がききますが、小学生担当の非常勤講師と私の二人で運営している当教室では休講にして別の日に授業を振り替えるぐらいしか手立てがありません。
通塾してくださっているご家庭には申し訳ないことですが、少なくとも私は生徒や保護者の方々を第一に考えた塾運営をしている者とは言えません。
ただ、言い訳めいたことを申しますが、老齢の両親と暮らし、家事全般をしながら塾を運営していくことはけっしてマイナス面ばかりではないと思います。日々、子どもに返っていくような両親と接していると、「なるほど、子どもたちにも似たようなことがあるかも知れない・・・」と感じることがあります。母が認知症になったとき、子どもをもったことのない私に、子どもとはどういうものかを教えるために、母が自らの身をもって教えてくれているのかも知れないと感じたことがあります。母の示す言動が子どもたちの指導のヒントになることもしばしばです。家事をしたり、父や母の通院に付き添ったりすると、「なるほど、毎週お子さんの送迎をしてくださるお母様方は大変だなあ・・・」と実感します。(こちらのほうは、だからといって何かお母様方の負担を減らすようなことができているわけではありませんが)国語という教科は、共感力が大切な教科ですから、私の共感力があがることは、子どもたちにもプラスになるのではないかと思うのです。もっとも時間に追われ私が心のゆとりを失ってしまっているような時、子どもたちにマイナスの影響を与えていることも充分考えられますが・・・。
いずれにせよ今回この記事を掲載するのは、クラス・時間割改変の理由をお知らせするためもありますが、もしこれから当教室で学ぶことを考えてくださっているご家庭があるとするならば、そういう者が運営している塾だとあらかじめ知ったうえで、通塾を決めていただきたいからです。以前のブログにも書きましたが、良い点も悪い点もオープンにして、メリット・デメリットを天秤にかけたうえで当教室を選んでいただきたいと思います。
というわけで、次年度通塾をご検討いただいている(かも知れない)ご家庭に向けて、クラス・時間割の改変理由のお知らせでした。
2019-01-25 07:54:57
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前回のブログは、当教室に9年間通ってくれたR君の話でしたが、今回はもう一人のR君の話をしたいと思います。彼も今年、大学に進学しました。
ところで、彼はこの教室の開塾1年目に小学4年生で入ってきた生徒。本来なら前回ご紹介したR君とは受験年度は重なりません。彼は当教室に3年間ほど通塾して、県内の私立中学校の1年生のときに卒塾していたので、私はてっきりもうどこかの大学に通っているのだと思っていました。その彼のお母様から昨年の12月突然電話があって、二人で塾に訪ねてこられました。
話をうかがうと、中学校に入ってからすっかり学習意欲を失い、入学した中高一貫校を高1のときに転学し、大阪の私立高校に通っていたとのこと。高校卒業後も大学進学の意志はなく働いていたが、やはり大学で学びたいと思うようになり、昨年の春から予備校に通っているということです。それで同志社大学の文学部を目指して頑張っているのだが、国語の記述問題に不安があるので、指導してもらえないかとの相談でした。
せっかく頑張って合格した学校を辞めてしまった彼の気持ちを私も少しだけ理解できるつもりです。プロフィールを見ていただければ分かりますが、私も私立の中高一貫校に入学しました。そして彼と同じ高校1年生のとき(校内では中学4年生といいますが)一度は学校を辞めようと思いました。私はよく保護者の皆様に「親が『転ばぬ先の杖』になることはできません。どんなに順調に行っても、子どもというのは必ず転ぶものです。だから、親御さんは『転ばぬ先の杖』ではなく『転んだ後の杖』になってあげてください」と申し上げます。いわゆる進学校と呼ばれる学校に入ったから、有名大学に入ったからといって、人生の航路が平坦になるわけではありません。子どもになるべく平坦な道を用意してあげたいという思いは分かりますが、失敗しないように先回りする心積もりよりも、失敗したときに立ち上がる支えとなる心積もりをしておいていただきたいとお伝えしています。私は彼と違い学校を変わることはありませんでしたが、学校を辞めたいと言ったときには父や母は「おまえのしたいようにすればいい」と言いながら、内心どうしようかと悩んだそうです。彼のお父様、お母様も彼が転学することになったときにはずいぶんと心を砕かれたのではないかと推察します。
しかし、何の疑問も感じずに中学・高校・大学と進むよりも、迷い、悩み、遠回りをしながら大学に進んだほうがむしろ大学で学べる喜びも大きいかも知れません。事実、彼は大学でこういう分野の学問がしたいという明確な目的をもっていました。ただ単にブランドを身にまとうように有名大学を目指すのではなく、この大学でこの学問がしたいと考えて進学するのは立派なことだと私は思います。(もっとも、進学せずに就職するのも立派なことだし、したいことが分からないので、とりあえず大学に行くというのでも私は構わないと思います。どの道筋を通っても、自分がこう生きたいという生き方に近づいていけばいいのではないでしょうか。)
さて、彼は同志社大学の文学部と関西学院大学の文学部に合格して、同志社大学に進学することになりました。転学した大阪の高校でお世話になった先生に合格の報告をしたら、「うれしくもあり、ちょっと残念。大学なんか行かないほうが、もっと別の人生が開けたかも知れないという思いもある」というようなメールがきたそうです。この話を聴いて、いい出会いをしているなと感じました。周りに同じような価値観をもった人ばかりでなく、違う価値観をもった人がいてくれるのは彼にとって幸いだと思います。
ところで、彼によると高校時代まったく受験勉強らしきことはせず、予備校に入ってからの10カ月ほど一所懸命に勉強して何とか志望校の合格圏内まで届いたそうです。彼がわずか1年足らずの受験勉強で合格できたのは、しっかりとした国語力の土台があったからだと私は考えていますが、国語塾の私がこう申し上げれば、我田引水ということになるでしょうか。
ともあれ、R君、おめでとう。
2017-04-09 11:56:42
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この春、小学4年生から当教室に9年間通ってくれたR君が大学に合格し卒塾しました。この教室を始めたとき、小学校から高校まで一貫したカリキュラムで国語を教えられたら、より幅広い国語力が培えるのではないかと考えましたが、実際の問題として9年も同じ塾に通い続けるのは大変なことです。
R君の場合、お母様が単に成績や受験対策ということではなく、当教室の考え方に理解を示してくださり、彼が開智中学に合格したあとも受講し、また、彼の学校での国語の成績が期待したほどには伸びなかったにもかかわらず(定期試験の国語の点数はいつも60点前後でした・・・もっとも点数以上の力はあると私は見ていましたが)、高校卒業までお子さんをまかせてくださいました。
彼のお兄さんは東大生なのですが、このお母様がすばらしかったと思うのは、R君とお兄さんを比べることはせず、R君にどこの大学に行ってほしいということもおっしゃらなかったことです。内心思うところはあったとお察ししますが、あまり余計なことはおっしゃらず、じっとR君を見守っておられたようにお見受けしました。
R君もどちらかというと口数が少なく、飄々という表現がいいか、茫洋という表現がいいか、一見とらえどころのないお子さんではありましたが、大雑把に見えて細かい気配りのできるお子さんで、電話をかけてきたときには「今いいですか?」とこちらの都合を尋ねてから話をするし、ボーイスカウトの大会に出かけたときはいつも旅先から葉書をくれたし、お土産を買ってきてくれたときは事務所の中にそっと入れておいて「事務所の中にお土産を置いておきました」などとそっと耳打ちしてくれたりしました。国語力の定義が広過ぎるのかも知れませんが、こういうことも含めて国語の力だというのが私の考えです。
さて、R君の志望は北海道大学の理学部で、英語や理数の点数が安定していたので、センター試験の国語で7割とってくれれば合格ラインに届くとみていました。その期待どおり彼は141点をとりました。今年の国語の平均点が107点弱だったことを考えれば、力を出し切ったと言えると思います。
「もうこの塾に子どもを送ってくることもないと思うとさみしいような気もします」
合格の報告をしにR君を連れて来てくださったお母様がそうおっしゃいました。考えてみれば、R君のお母様は9年間塾への送り迎えをしてくださったのです。そのご苦労を思うと感謝してもしきれません。お母様、本当にお疲れ様でした。そして、R君、合格おめでとう。
2017-04-02 09:46:10
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昨年開塾10周年をむかえた当教室では、これまで200名近い生徒が卒塾していきました。けれども学校と違って全ての生徒が卒業や進学といった節目で卒塾していったわけではなく、途中で卒塾していった生徒がたくさんいます。教室に生徒をむかえいれるにあたっての私の方針は「去る者は追わず、来たる者は拒まず」ではありますが、「その後どうしているのだろう?」と気になっている生徒が何人もいることも事実です。
そうした生徒の一人のA君が、先日不意にお母様と一緒に教室を訪ねてくれました。もっとも私は彼が名乗るまでA君であることに気づきませんでした。今は大学生になっているA君が当教室を辞めたのは小学5年生のときで、顔立ちがすっかり大人になっていたからです。
彼は小学校3年生のときに入塾しましたが、5年生になっても「くつつき言葉」と呼ばれる「は・を・へ」を「わ・お・え」と書く癖が抜けきらず、ご両親はそのことを大変気にしておられました。私は、「ぼくわ 学校え 行く。」のような文の間違いを正せと言えばきちんと正せるし、漢字や仮名遣いの間違いはあるけれど、とても豊かな感性をもったお子さんで、俳句などもとても良いものを作るので、もう少し様子を見ていただきたいと申し上げました。しかし、3年近くも国語の塾へ通わせていて成果が出ないのなら塾へ通わせるよりものびのびと遊ばせてやりたいとのお父様のお考えで塾を辞めることになりました。辞めるときに、これまでお父様に一度も口ごたえなどしたことのない彼が、「国語塾だけは続けさせてほしい」と言ったのだとお母様からうかがったときは、本当に胸が痛みました。目に見える学力だけに汲々として、未来への種蒔きをないがしろにしないように、たとえ今すぐに成果があがらなくても、この先の学びを考えたときの糧になるようにということを第一に考えて指導をしていますが、成果が目に見えないことは子ども自身にとっても、保護者の方にとってもつらいことですから、それを理由に教室を去っていくのは私の力不足としか言いようがありません。しかし、その後どうなったのだろうということはずっと気になっていました。
「Eです。お手紙ありがとうございました」手紙というのは、昨年開塾10周年を機会に、塾で学んでくださったご家庭(生徒・保護者)に送った粗品と簡単なメッセージのことです。お母様によると、直接出向いてお礼を伝えたいと思ったが、東京にいるのでなかなか帰ってくる機会がなく今日になってしまったとのこと。いまは日本大学の歯学部で学んでいるということでした。
「もう、くっつきの『を』間違えない?」「さすがに今は間違えません」これを聞いて私は心から胸を撫で下ろしました。あるいは彼は、当教室を辞めたあと他塾に通って適切な指導を受け、仮名遣いがなおったのかも知れません。しかし、あのとき目に見える成果をあげようと躍起にならなくて私はよかったと思っています。そうしていたとしたら、それは子どものためを思ってというよりも、保護者の方の意向に沿うように、教室を辞めないようにするための指導になってしまっただろうと思うからです。もちろん当教室に節目まで在籍してくれて、成績向上なり、合格なりしてくれたらこんなにありがたいことはありませんが、大切なのは子ども自身が未来への道筋をつかむことです。A君は、歯学部に入学して未来への道筋をつかんだのですから、それを聞けただけで充分幸せです。
もし彼が和歌山に帰ってきて歯科医をすることになったら、今度は私が彼に歯を診てもらいたいと思います。彼の「わ」を「は」になおせなかった私ではありますが・・・。
2017-03-31 11:03:13
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