皆さんは「セレンディピティー」ということばをご存じでしょうか? 「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに別の価値あるものを偶然見つけること。あるいはその能力」のことだそうです。
私はこのことばに、NHK・BSの『舟を編む』という辞書編集をテーマにしたドラマで出会いました。玄武書房という出版社の辞書編集部員たちが、会社初の中型辞書の刊行を目の前にして、新社長から「紙の辞書は古い。新しい辞書はデジタルにする」という方針転換を告げられます。それでも紙の辞書を諦めきれない編集部員たちは、デジタルにはない紙の辞書の意義をアピールして最終的には紙の辞書の出版を果たすというストーリーなのですが、その紙の辞書の意義の一つとして挙げられていたのが、この「セレンディピティー」ということばでした。
例えば、デジタル媒体であることばを調べる場合、検索をかければほぼダイレクトにその項目にたどり着きます。しかし、アナログな紙の辞書の場合は、幾度かページを繰らずに目的のことばにたどり着くことはまずありません。その間に、目に入る他のことばに興味がそそられて、目的のことば以外のことばの意味や用例を知ったりすることが紙の辞書の意義の一つというわけです。辞書のそういうセレンディピティーを知る人にとって、辞書は「調べる物」というよりむしろ「読む物」です。私も学生の頃、国語の先生の目を盗んでは、国語辞典を読んでいました。
ところで、辞書に限らず、国語という教科はもっともセレンディピティーに富んだ教科だと私は思っています。
一冊の本を読む中で出てくる登場人物、それが歴史上の人物であれば主人公以外の人物に惹かれて、今度はその人を主人公とした小説を読んでみたいと思うこともあるでしょう。あるいは試験問題に使われていた作品によって、知らなかった作家の文章の魅力に気づくことや、漢字を書き間違えてしまったことでまだ習っていない漢字を知ることだってあります。前々回のブログで例に挙げた「泥団子1個+泥団子1個=泥団子1個」は算数では単なる間違いですが、国語ではこれがセレンディピティーになる可能性もあります。
セレンディピティーは偶然の要素に左右されるものとはいえ、人生はこうした力にも支えられないと予定調和だけでは乗り切れないものだと私は考えます。国語には合理的、効率的に学習するのが難しい面もあります。しかし、だからこそセレンディピティーの機会が豊富にあるとも言えるのです。
「国語なんて勉強したほどには成績が上がらない」と、効率ばかりを追い求めるのではなく、国語のもつセレンディピティーに期待して勉強してみませんか。
2025-05-22 15:49:45
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