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出題者の目線で

出題者の目線で

 先週に続き、文章読解の際の心構えについてもういくつかお伝えしたいと思います。今回は「出題者の目線になって問題を解く」です。ただ、これは小学生あるいは中学生でもまだ難しいかもしれません。
 私が受験生であった四十年以上も前から、国語の入試問題に対する批判はありました。その最たるものは、ある小説の作者が自分の作品をつかった入試問題を解いたら解けなかったと述べたことから、国語の文章読解問題の妥当性を問うもので、いまもときどきこの手の疑問を保護者の方から受けることもあります。
 現行の国語の入試問題がこれでいいかどうかという点については、もちろん検討の余地はあろうかと思いますが、上記の作者自身が解けないような問題はおかしいという批判については、文章読解問題に対する誤解があると思います。
 第一に、文章というのは作者の手を離れてしまえば、それをどう解釈するかは読み手の自由です。作品を発表するということは、その解釈をさまざまな考えをもつ読者に委ねるということでしょう。だから、読解問題の解答が作者の意図したものとは違っていたとしても、そのこと自体には問題はないはずです。入試問題ともなれば、複数の人間で出題や解答を検討するはずですから、その人たちがその出題と解答が妥当だと判断したのなら、その文章をそう解釈することはあながち間違いではないと言えます。
 第二に、読解問題というのは、受験生の国語力を鍛えるあるいは測ることを意図して作成されるものです。作者の考えや主張を受験生に伝えるために作成されるのではありません。つまり、問題文として採用される文章も設問も、その解答も、「こういうことを理解してほしい」とか「こういうことを書いてほしい」とかいう意図のもとに作成されたものであって、作者の思いを分かってほしいという意図で作成されたものではありません。
 したがって、読解問題と作者自身が作品にこめた思いとは別のものであって、「読解問題の本文=作品の一部」ではありません。
 ですから、読解問題を解く生徒の皆さんは、「作者ではなく、出題者の目線で問題を解く」という心構えをもってください。「次の選択肢の中から筆者の考えに合致するものを選べ」という設問は、極端に言えば「次の選択肢の中から筆者の考えに合致すると(出題者が考えているものを)選べ」です。あるいは「傍線部はどういうことか」という設問は、「傍線部はどういうことだと(出題者)は考えているか?」です。
 出題者は独特の感性や、あふれんばかりの想像力をもった作者ではなく、一般的な良識を備えた学識者です。だから、問題を解く皆さんも独自の見解や自らの想像力を働かすことなく、出題者の目線になったつもりで文章を読み、そして解答を考えましょう。
 

2025-06-28 13:11:24

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