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国語と文学

国語と文学

 今回は、国語力と文学との関係について考察してみたいと思います。著名な作家や詩人、作詞家などのインタビュー記事などを読むと、「学生時代に国語は得意でしたか?」との質問に、「得意ではなかった」「苦手だった」と答えている人が少なくありません。意外に思う方もおられるかもしれませんが、これはむしろ当然だと思います。
 この「得意でしたか?」の質問は「国語の成績は良かったか」という質問であり、それは大部分テストの点数で決まります。では、国語のテストとはどういうものかですが、国語のテストは、漢字や文法、表現技法や文学史などの知識問題以外は、文章読解問題であり、その読解問題の大部分は「抽象」を答えさせるものです。文章の書き手は、対比を使ったり、具体例をあげたり、理由を説明したりして、読み手に自分の伝えたいことを理解してもらおうとします。具体というのは伝えたいことを理解してもらうための手段ですから、具体から抽象を読み取る設問が主となるわけです。また、テストの作成者としては抽象を答えにすると内容が限定出来ますが、具体を答えにすると解答者それぞれに違う解答になり採点が煩雑になります。つまり、問題作成者や大多数の解答者と同じ表現を書くのがテストの解答です。
 それに対して文学作品には、他の人と同じ表現ではないオリジナリティが求められます。作家や詩人、作詞家は、他の人にはないその人独自の作品を生み出してこそ世の中から評価されるわけです。文学のテーマは「人の生死や愛、友情、喜び、哀しみ」など抽象的なものですが、それを具体的に表現することによってその人独自の表現が生まれます。つまり、テストの解答とは真逆のことをするのが、文学作品を書くということなのです。そのためにはもちろん技術も必要ですが、技術だけでなく他の人にはない独特の感性も必要です。そういう独特の感性をもった人は、国語のテストの作成者が求めるような抽象的な解答を書くことには抵抗を感じるのではないかと思うのです。要するに、文学作品をつくるような人間にとって、学習指導要領にそった作品の解釈を教えられる授業も、問題作成者が想定した解答を求められるテストの解答を書くのもつまらないものでしかないのです。だから、作家や詩人や作詞家に、国語の授業が嫌いで、国語の成績が悪い人がいても何の不思議もありません。むしろ当然です。
 ちなみに当教室の小学生4・5・6年生のクラスでは、年に2,3回俳句をつくってもらいますが、たいてい国語のよく出来る生徒の俳句は面白くありません。国語は論理的思考が求められる教科ですが、詩というのはある意味論理を飛躍したところに生じるものです。国語の成績が悪いからといって、子どもに文学の才能がないと断定するのは早計です。こうした文学作品を書く力やスピーチの能力も含めた広い意味での国語力がもっと評価されてよいのではないかと私は考えています。
 

2025-08-15 08:30:27

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