かつてパソコン(パーソナルコンピュータ)が登場し、ワープロソフトや表計算ソフトなどがさまざまな事務業務で利用されるようになったときに、文字を早く入力出来たり、ソフトを使いこなせたりする人が重宝されました。しかし、パソコンが広く普及し、ワープロソフトや表計算ソフトを使える人が増えてくると、その「操作」ができる人ではなく、それを仕事に「利用」できる人が求められるようになってきました。
さまざまな機器が発達することによって、かつては技術職・専門職として重宝された人たちの「技術性」「専門性」の価値が下がり、機器を使うことによって、技術や専門知識を持っていない人でもある種の業務が行える時代になってきています。
一方で、そのように機械化・自動化が進んだ世の中だからこそ、人間にしかできないことが改めて見直され、求められるという時代でもあり、それは機械化が進めば進むほど顕著になってくるのではないかと思われます。
さて、このことを学習の世界に当てはめて考えてみた場合、これから必要とされるのはどんな分野の学力でしょうか? 例えば外国語を読み書き・話せる能力は、国際化が進んだいまの時代には必要不可欠となってくるに違いありません。一方で、自動翻訳技術の発達によって、機器を使って外国語でのコミュニケーションがとれる時代になってきており、その機能はこれからますます発達していくことでしょう。
そうなったときに、かつてワープロや表計算ソフトを「操作」できる人から「利用」できる人が求められるようになったように、単に英語の読み書きや会話ができる人ではなく、内容あることを読み取り、書き、話せる能力が求められるようになってくるのではないでしょうか? そう考えたときに必要となってくるのは、やはり国語力ではないか? 私はそう考えています。
そしてこのブログで何度も書いてきたように、国語力というものは技術ですから、ただ学んで理解しただけでは使えるようにはなりません。他人の考えを受け取ったり、自分の考えを伝えたりするためには、その方法を学ぶとともに、それができるようになるまでくり返し練習することが必要です。家族が核家族となり近所付き合いも希薄となり、異世代とのコミュニケーションをとる機会が減り、読書離れが常態化し、手紙などを書くこともほとんどなくなったいまの日本の社会を考えたときに、国語という技術の練習不足は否めませんが、そもそもそれ以前の読み書きの方法も十分に理解できていないのではないか・・・。教室で国語を教えていて、そう感じています。
これからますます国語力が求められることになる。私のこの考えが正しいかどうかは、あと10年、20年先にならないと分からないかもしれません。しかし、それが分かってからでは遅いのではないか。私はそのことを心配しています。
2025-10-18 13:26:01
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