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AI時代の国語

AI時代の国語

 生成AIというものが開発されて、驚異的なスピードで進化しています。たとえば、国語の分野でいえば、作品を鑑賞・批評するだけでなく、AI自らが作品を創作出来るレベルに迫ってきており、実際創作に生成AIを活用している作家もいるように聞いています。実際、私も自分が詠んだ俳句や短歌をAIに批評してもらったことがありますが、かなり的確な批評をすると感じたことがあります。もっともAIは相談相手を傷つけないようなプログラミングがされているようで、基本的に肯定的な批評しかせず、否定的な批評はほとんどありませんので、そのあたりを差し引いて受け取る必要はありますが・・・。
 もちろんAIは国語という教科にも活用が出来て、知らないことばを調べる辞書代りにもなりますし、自分の書いた文が文法的に正しいか判断してもらうことも出来ますし、さらには文章の要約もしてもらえます。私はまだ試したことはありませんが、おそらく入試問題を読み込ませれば模範解答も作れると思います。国語に限らず、他の教科でも問題の正しい答えを得るということだけなら、AIを使えばいとも簡単に得られる時代である(あるいは早晩そうなる)と考えてよいかと思います。
 では、こんな時代に国語を学ぶことの意義はなんでしょうか? 別にことばの意味など覚えなくてもAIに尋ねれば教えてくれます。文章を書くことさえAIに任せることができます。問題だって解いてくれます。
 それを考えるヒントは、AIに出来ないことは何かと考えることではないかと思います。まず認識しておきたいのは、AIがどんなに見事な鑑賞をしようと、どんなにすばらしい創作物をつくろうと、その原点に『感動』はないということです。AIは心を持っていませんから、何かに感動して作品を生み出すわけでも、作品を鑑賞するわけでもありません。教え込まれた膨大なデータをもとに、批評(らしきもの)をつくったり、文学作品(らしきもの)をつくったりしているのです。
 それは場合によっては、人間のつくる創作物や批評文以上に質の高いものである可能性もあります。ましてや何かの判断ということにおいて、人間よりもAIのほうが正しいということはこれからますます増えていくでしょう。しかし、人間は論理だけで動いているのではありません。感情で動くのです。だからこそ、いろいろな失敗もしますが、ときに論理で考える以上のものが得られ、それでこそ生きる幸せもあるのだと私は思います。
 その感情を育てるのが国語という教科です。考える力ということに関しては数学や他の教科も十分にそれを培うものだと思いますが、こと感情の養成に関しては国語が抜きん出ます。
 人間が社会というものの中で生きていくかぎり、自分以外の人間の感情を推し量ることや自分の感情と向き合わねばならないことは避けて通れないことです。一人の人間ができる体験は限られており、さまざまな環境にいる他者の感情を自らの体験だけを頼りに理解するのは到底無理です。国語という教科は、自分が生きられない他者の人生を間接体験し、さまざまな人間の心を理解する力を培うものだと私は考えています。
 国語の分野でもAIが人間に代わることができるから国語が必要なくなるのではなく、むしろAI時代こそ国語が必要になる、私はそう信じています。       

2026-02-07 17:30:43

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