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眼球の動かせない子

眼球の動かせない子

 いはら教室では「速読トレーニング」と称して、毎回授業の始めにビジョントレーニングをしています。「速読」と称してはいますが、文字を正確にとらえることと、目をスムーズに動かしてストレスなく文章を読むことが目的で、当教室ではいわゆる「超速読」のような1分間で驚異的な文字数が読めるといったことは目指していません。私自身もけっして読む速度が速いほうではないので、驚異的なスピードで一日に何冊も本が読めたらいいなとは思いますが、そういう読み方が果たしていいのか、またそういう訓練が子どもたちにどういった影響を与えるのかがまだ充分検証されていないように思うので、仮にそれが有効だとしてもそういう「超速読」のようなことは大人になってからのほうが無難なのではないかと私は考えています。
 では、当教室のビジョントレーニングはどんなことをしているのかというと、これは特別なものではなく、眼球を左右・上下・前後に動かす練習やランダムに並んだ数字を順番にチェックしたり、二つの文字列を比べて違いを見つけてチェックするといったごくごく基本的なものです。正直この訓練でどれくらいの効果が出ているのかははっきりしませんが、週一回眼球を動かしたり、文字や数字をチェックする訓練なら特別な効果はなくとも子どもたちの脳や目に悪影響を与えることもないだろうと考えて、学習の前の準備運動のようなつもりで実施しています。(ちなみに、子どもたちにとっては楽しい訓練のようです。)
 ところで、この眼球運動ですが、誰でも当り前のようにできるかというと違います。中には眼球を動かせと言っても、意識的に眼球を動かすことのできない子どもがいるのです。特に小学校低学年ぐらいの子どもにはまだうまく自分の意志で眼球を動かせない子どもが比較的多くいます。私は内藤貴雄先生というオプトメトリスト(日本ではまだ公的に認められていない職業のようですが、視覚の機能を高める訓練をする専門家)の研修会に参加したことがあるのですが、内藤先生によると、からだに不自由なく健康に生まれてきた子どもでも、発育の中で自分のからだの認識力高め、からだの各パーツ、すなわち腕や足、膝などの配置や大きさ・それらの相互関係(からだの構成)・働き(どうやって曲げたり動かしたりするのか)についての適切な「知恵」を発達させていかないと、人間というものは自分のからだをうまく使うことができないのだそうです。以前、転んでも手をつくことができないで顔を地面にぶつける子が増えてきたというのをテレビか何かで観た記憶があります。そんなことが本当にあるのだろうかと思っていましたが、少なくとも眼球を動かすということに関してはうまくできない子どもが少なからずいることは、私が教室で何人も目にしていますから、ありうることだと思います。
 文章を読んで理解するには、適切なことばの切れ目で文字列を区切って意味の最小単位を理解し(いわゆる文節単位でまず意味を理解し)、つぎに文節どうしのつながりを把握して文の意味を理解し、さらに文と文のつながりを把握して段落を理解し、段落どうしのつながりを把握して文章全体を理解するという何段階かの過程が必要ですから、ただ単に文字を正確にとらえられただけでは文章を読んで理解できるようにはなりませんが、少なくとも文字を目で正確にとらえられなければ文節単位で意味を理解することもできないし、文字の一画一画をきちんと把握できなければ漢字を覚えることも難しいだろうと思います。だから、眼球がスムーズに動かせるように訓練することや、眼球の上手な使い方(視力と視覚は別のものなのだそうです)を身につけることは学習には必須です。
 私たちはつい「ちゃんと聴きなさい」とか「しっかり読みなさい」とか具体的なやり方を何一つ示さないで、聴けない、読めない要因を子どもの意識や意欲の問題にしてしまいがちなのですが、なかなかそれができないお子さんの場合、そもそも聴く力があり聴覚のつかい方が身についているのか(当教室に通ってくれていた生徒で、学校の聴覚検診では発見されないまま、小学校5年生になって片方の耳が聞こえていなかったことが分かった子どもがいました。)そもそも視る力があり視覚のつかい方が身についているのかを確認してみる必要もあるかと思います。落ち着きがなかったり、集中力がなかったり、不器用だったり、人とうまく協調できなかったりといった子どもの中には視覚がうまく使えていないことが原因の子どももいるそうです。おそらく聴覚にも同じことが言えるのではないかと思います。
 内藤貴雄先生のホームページには、そうした子どもたちは「困った子ども」なのではなく「困っている子ども」なのだと書かれていますが、視覚に限らず大人から見て困った子どもが、、実は本当は困っている子どもだということは少なからずあることだろうと思います。私たちは子どもたちの「困っている」を見逃してはいないだろうか? この文章を書きながら、改めて私も自問自答しています。 
 

2016-06-06 09:16:48

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